最近あっちこっちで(主にメディアで)耳にする『腐女子』という言葉。…耳にするだけではない。私は腐女子だと言っても多分誰も異論はないと思う。…多分。きっと。恐らく。程度はどうあれ(そこが問題のような気もするが)。
で、結局『腐女子』の『腐』つまり『腐って』いる部分はどこなのか、と自問してみた。
性根?
…とか真っ先に思いついてしまった私は世界中の『腐女子』に謝らねばならない気がする。うん、解ってる、間違っても『腐女子』が『腐って』いるのは性根ではない筈だ。それではホントに人間としてどうかという話になってしまう。でも『腐る〓性根』と頭の中で連結されていた私には真っ先にこの単語しか出てこなかった。
…結局何が『腐って』いるんだろうか…。
思考回路?
あ、多分コレ? かもしれん。いや、普段何気なく見聞きしてるけど結局それってどうなのよ、と思ったら意外と解らんもんだ、と。
で、私は確かに『腐女子』に分類されるのだろうけれど、嬉々として骨の話とかしてるとどーも…ずれている気がする。…いや、気のせいではなく、間違いなくズレてるんだろう。凄く失礼な話なのだけれど、近世以前の人骨は『お骨』というよりも『史料』だと思っているフシがあります。勿論他の無生物(土器とか)ほどの『モノ扱い』ではないのですが、それでも『遺物』だと。苦手な人は例え縄文人の骨でも、弥生人の骨でも、『人骨』だと思って気持ち悪いだとか、怖いだとか思うらしいのですが、残念ながら霊感であるとか、そういう霊的な存在を信じていない(というか見えないし感じられもしないから解りようがないと思ってる)私にとっては『かつて人の一部を形成していたカルシウムの塊』というか…いや、決してぞんざいな扱いをしてもいいとか思ってる訳ではないけど『気持ち悪い』とか『怖い』とかいう意識は無いというか。ミイラの前で1時間とか平気で居座るし、吉野ヶ里の博物館で人骨の前で1時間とか気がついたら経過してたりするし。なんたって人骨は一番雄弁にその時の『環境』であるとか『社会情勢』『社会風俗』を語るのですよ。埋葬方法からは当時の死生観が見えるし、副葬品からは被葬者の身分やら日常生活の様子が、骨の状態から死因まで解る事もあるし、当然年齢やら、虫歯の状態から生前悩んでた病気まで解る訳ですよ。
…ってこういう事を嬉々として語るから『ズレて』んだろうなぁ…。
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