
第1回笹尾山交流広場で行われたさくらゆきの全曲ライブに行って来ましたよ!と。
…いやーええ天気やった。ええ天気過ぎた。雨降りよりは万倍ええけども。久しぶりに笹尾山登ったらぜーはーいうてたわ…。
セトリはツアーとかだとネタバレになるけど今回は1回ものだし別にいいかなぁ…とも思うから書いてしまう。

平成23年1月29日(土) 13:30~別件の用事を入れてしまったので行けない私は悔し涙で資料を眺めます…しくしく。いやほんとに土塁とかスゴいから。ほんとによく残ってる。こういう、城が丸ごと(厳密には丸ごとではないけど)発掘されてる所を見たことが無いからよけいに前回1人で盛り上がってた訳ですが、ほんとに、見る価値あると思うのでお暇な方、お近くの方は是非。
(大津市関津3丁目 関津自治会館横に集合)
【公共交通機関】
JR琵琶湖線 石山駅から帝産バス田上車庫行 または アルプス登山口行「公民館」下車
【自家用車】
名神高速道路瀬田東インターより15分
詳細:滋賀県文化財保護協会
2010年8月8日開催分の現説資料も↑からDLできます。
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| 佐和山城遺跡出土品(1) |
先月、佐和山城遺跡の発掘調査の終了に伴う地元説明会に行ってきたのですが、その時にだけ並べられていた土製の犬の人形。これが実は凄い物なんじゃないの? という話が出たのでそれをちょっと書いてみる。
現場から琵琶湖を見た風景。工事のために木が伐採されてるとこんなにも見晴らしがイイ! 生憎朝からの雨(現説前には止んでた)でどんよりとした空模様ですが、晴れてたら三上山までスッキリ見えるくらいに見晴らしがイイ。大津市神宮町の宇佐山古墳群で、古墳時代中期前半(5世紀前半)の古墳の石棺がほぼ完全な状態で出土、中から魔よけの顔料で赤く染まった頭蓋骨も見つかり、滋賀県文化財保護協会が28日、発表した。(47NEWS 共同通信)いや、ホントに真っ赤だから是非現物(現説では展示される筈)を見て下さい。石棺の中も頭部に近い方はホントに真っ赤。なんで頭部だけ赤いのかっていう説明は多分現説であるだろうから現説行って下さい。
佐和山城遺跡での発掘調査が終了するのでそれにあわせた地元向けの説明会に行ってきました。…え、地元人ちゃうやんけ、というツッコミ、ええごもっともです。3日前までは「地元向けだし~」と行くつもりはしてなかったんだ。それが一昨日「土曜日佐和山来るんでしょ?」「え、来ないの?」と言われたら…ねぇ…「じゃあ行きますよ」と言ってしまうのが私の性格だよ…! と言うわけで言ってきました。ちゃんと今日は現場に行くためだけの格好で。頭は相変わらず盛ってるけど(休日だから仕事しないぞという暗黙のアピール部分)足下はトレッキングです。ジーパンはスキニーだけど(仕事しないぞという暗黙のry)
昨日おかんに誘われて言ってきました平城宮跡。せんとくんで話題の平城遷都1300年祭です。むかーし、ロマントピア藤原京とかやってた頃はなーんにもなかったよねココ(いや、朱雀門だけあった気がするが)…あれ…もう…15年前…?
昨日は博物館の後で滋賀県東近江市の下羽田遺跡の現地説明会に行ってきました。…現説行くつもりしてなかったから足下はグラディエーターだしトレンカだし髪は巻いて盛ってるし…ととても不釣り合い。まぁいつもの『休日モード』な格好だけどもね、現場には不向き。
予備知識とかほとんどないままで行ったから現説資料と現地での説明からのみ。左の写真が竪穴住居の中の竈。家の真ん中の炉から壁際で排煙坑(煙突)を持つ竈への移行形態にある時期の遺構だそうで。西日本やらでは調理場所として炉→竈の移行が結構早い段階から行われて、完了してたらしいけれど、東北では比較的最近まで炉で調理をすることがあったらしいから、そこらへんが地域性なのかな…?
で、早速写真は第1調査区です。…こなれたようなでも手抜きな画像補整ですいませんよ…。A/B/Cはそれぞれ時期の差です。溝Aと溝Bは同時期のものではなく、道Bと井戸Cは同時期ではなく、溝Bと道Bは同時期…という意味で見て下さい。溝Aは溝Bよりも早い時期のもので、その後、溝Aが堆積物などで浅くなった所で埋め戻して新たに溝Bを掘り、道Bを溝Aの上に重なるように造成した…とのこと。だから道Bの横幅は片方は溝Bまでだけれど(見えている部分)、右端は溝Aの上を通って右側の畑地の所まで伸びている筈(未確認)。また、井戸はこの道とも溝とも同時期のものではない(そりゃ排水路に重ねて井戸は掘らんよ)が、これらの遺構はたった数十年の間に前後して掘られたもの、かつ堆積している土砂が粘土質ということで、溝というよりは淵のような…水が流れるというよりも溜まった状態のじめじめした水路だった模様。現状でも、数日前に降った雨の水が写真の状態。とても水はけが悪い場所。そんなんだから溝が堆積物で埋まるのも早くて、短期間に掘り直しが行われた模様。この道だけど、右手の今は舗装されてる道との関係性はまだ不明とのこと。傾斜とかが現存の道とは異なるから、同時期に両方とも存在したのか、有る一定時期に現存の道に大規模に造成し直されたのかも解らないとのこと。