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2012年5月27日日曜日

さくらゆき全曲ライブに行ってきたよ!


 第1回笹尾山交流広場で行われたさくらゆきの全曲ライブに行って来ましたよ!と。
 …いやーええ天気やった。ええ天気過ぎた。雨降りよりは万倍ええけども。久しぶりに笹尾山登ったらぜーはーいうてたわ…。
 セトリはツアーとかだとネタバレになるけど今回は1回ものだし別にいいかなぁ…とも思うから書いてしまう。

2011年9月15日木曜日

「大国近江の壮麗な国府」安土城考古博物館

 9月頭の怒涛の更新(っていうかサッカー漬けの日々)が過ぎ去ってぱったり更新してなかったので日曜に行ってきた安土の特展の事でも書いておく。竜王のアウトレットに買い物に行ったついでに(ついでの距離です私にとっては)博物館に行ったら折しも博物館講座の30分前。ついでに聞いてきました。

 博物館講座のテーマは大津市宇佐山古墳群、去年の6月に記者発表された、それまで存在が確認されてなかった13号墳(それまで宇佐山古墳群は12個の古墳だと思われてた)の箱式石棺から真っ赤な頭蓋骨が発見されたあの遺跡。7月の現地説明会にも行ってきましたねそういえば。現説の資料はここからDLできます。
 とはいえ、まだ整理調査中で、報告書も出てない遺跡なので、現説時点よりは詳細な話だけども位置づけだとか、結論だとかはなし。
 たぶんもう時効だろうから言うけども私、この現説の時に空き時間に石棺の中に入ってみたのですよ。あ、もちろん許可を得てですよ! 頭蓋骨は既に取り上げられてて、石棺の中を埋めてた土砂も取り除かれてたのと、なんせほんっとに小さい石棺で、推定身長155cmの被葬者が死後まもなく入れられるのかどうか(もがり後の改葬なのか)というので入ってみました。…狭かったです(そりゃな)。出土した頭蓋骨の位置に頭を持って行こうにも結構キツイ。まして両うでをまっすぐ下に降ろすのも肩がキツイくらい。骨盤部分も結構ぎりぎり(ズボンに壁のベンガラがつく位ぎりぎり)。…というわけで、死後まもなくむりくり詰め込んだんじゃなきゃもがり後の改葬なんじゃないのかな…ってのが入ってみた感想でした。…ていうかこの石棺に入れたのは後にも先にも私一人らしい(ちゃんと中に「収まった」という意味では)(発掘作業してる人は入りきれんかったそうな)のでリアルな実験考古学…。

2011年1月27日木曜日

関津城遺跡・関津遺跡

 今朝の新聞各紙で報道された関津城・関津遺跡。去年の8月にも頂上部以外の郭の現説が行われて私が延々「うわーすごいすごいマジでスゴいヤバいコレ」という簡略化すればそれだけの内容のアホな感想をだらだら書いた(2010年8月8日の記事)のが早5ヶ月前な訳ですが。今週末に、前回「お預け!」状態だった頂上部を含む現地説明会が開催されます。
平成23年1月29日(土) 13:30~
(大津市関津3丁目 関津自治会館横に集合)
【公共交通機関】
JR琵琶湖線 石山駅から帝産バス田上車庫行 または アルプス登山口行「公民館」下車
【自家用車】
名神高速道路瀬田東インターより15分
詳細:滋賀県文化財保護協会
2010年8月8日開催分の現説資料も↑からDLできます。
 別件の用事を入れてしまったので行けない私は悔し涙で資料を眺めます…しくしく。いやほんとに土塁とかスゴいから。ほんとによく残ってる。こういう、城が丸ごと(厳密には丸ごとではないけど)発掘されてる所を見たことが無いからよけいに前回1人で盛り上がってた訳ですが、ほんとに、見る価値あると思うのでお暇な方、お近くの方は是非。

2011年1月25日火曜日

女性のための近江戦国山城マップ 完成しました!

 去年6月(頃?)から24名の仲間と6人の県教委の方々(時々+α)と毎月滋賀県内のあっちこっちをうろうろして作り上げた女性のための近江戦国山城マップがこのほど完成しました!

 ダウンロードは県教委文化財保護課のページから。

 いやー年末にはあらかた形になってたようですがこうやって完成系を見ると…どっか他人事な気がしますね。…はい、私の悪い癖です。今に継続してない終わった事は過去の自分がやったことだから振り返ってみても実感が湧かない。
 印刷物の形式になるのはもう少し先の事らしい(しかもこっちは有償配布)のでとりあえずはDL版で…私は早速iPadに落としました。…いや、印刷するより持ち運びやすくて自慢しやすいから…。お世話になってる所とかへはいずれ近い将来完成するであろう印刷物の方を持っていこうと思います。

 それにしてもそれぞれが違う方面に個性的な地図になってよかったです。行政一辺倒では思いつかない色々な事。佐和山の立体地図とかそんなん絶対思いつかんわ…25人の個性的な経歴の面々だからこそなしえた『視点』の結集になったのではないかと(自画自賛)(私特に何も特徴的なことしてないけど)。

2010年10月16日土曜日

関ヶ原~小谷

 今日明日は関ヶ原祭…とはいえ今日は山城マップで明日はオプションの賤ヶ岳。…あれ、今日発売のさくらゆきの新曲どうしよう。しょうぶ屋さんの伊達ピアスどうしよう。

 午前中に買いに行けばいいじゃない。

 と言うわけで午前中にさくっと関ヶ原に行き、お昼に関ヶ原を出て一路小谷へ。…関ヶ原にいる時に電話がかかってきて「もう長浜かー?」と聞かれ「いや、関ヶ原です」と答えたら一瞬絶句のち大笑いされました。…ええ、機動力は自慢です。他の人にも笑われたけど…え? そんな変な行動かな? 関ヶ原って近いよ小谷から40分だったもの。彦根からなら30分だよ。近い近い。ほぼ滋賀県(いや、隣接地だし)。
 無事に目的のCDもピアスも買えたのでヘビロテしつつ小谷へ! …の前にだ。関ヶ原祭ってさ…毎回大阪とか東京とか色んな所に住んでいる筈の顔見知りの人と会う所だよね…私も全く人のことは言えんけれども。でもって毎年ここで新しいお知り合いが増えていくのよね…。
 さて、関ヶ原へは8号線→21号線の中山道(東山道)コースで行った訳ですが関ヶ原からは365号線の北国脇往還コースで小谷へ。…計らずしも信長の小谷侵攻ルートですよ北国脇往還。上平寺を掠めてざくっと小谷城下へ。途中で野村を通るからおおここが浅井織田激戦の地か…とか思いつつ。結果オーライのこじつけだけども岐阜からの進軍路を通りつつ小谷山を眺めて登れたのはよかったかなーと。
 実際に登ったあれこれはまた今度。…今度と言って今度のあった例しがあまりないのがこのブログですがそれもまた仕様です。

2010年10月3日日曜日

まるごと佐和山城

 鳥居本で開催されたまるごと佐和山城に滋賀県の歴女ボランティア(もはや正式名称が思い出せない位)としてお手伝い参加してきました。集合場所の龍潭寺前に集合時間の50分前に着くとか計算違いも甚だしいし。しかし既に到着していた歴女メンバー…ちょ、早すぎ。
佐和山城遺跡出土品(1)
 私のお手伝い位置は発掘調査現場…跡地。そう、跡地。去年の7月に現地説明会をした奥の谷は既にほ場整備も終わって今年の実りも刈り取られ…っていう状況。今年の3月に現地説明会をした百々町筋~本町筋部分は現在ほ場整備の真っ最中。…そう、遺構面なんて見えないんだ。そこであそこから道の跡が見つかって、本町筋沿いに建物が並んでいて、鞴の羽口が出た所は字名が「火箱」と言ってそういう鍛冶系の施設があったんじゃないかとかそういう話を午前1回午後3回。

2010年9月26日日曜日

関ヶ原に行ってきたよ(速報版)

 いや、ちゃんと歩き回った事はそのうち、出来れば今週中に昨日の佐和山と合わせてうpしたいなーと思ってはいます。予定は未定。あくまで願望。
 昨日佐和山に集った滋賀県女性の為の山城マップ作成ボランティア(正式名称多分そんなん、でもきっとこれじゃない)の中から私につり上げられてしまったTさんを道連れに行ってきました関ヶ原。当初は松尾山をスルーする12kmコースのつもりで出発したにもかかわらず…結局歩き始めたら意外と行けるんじゃね? ということで松尾山も回って16kmコースを踏破してきました。山道込み16kmで都合5時間くらい歩き続けてた事になるのか。…しかも延々喋りながら(アホだ。
 そんな訳で各所でもらえる千社札も全種類ゲットしてきました。

2010年8月8日日曜日

関津城遺跡現地説明会

 関津城遺跡(滋賀県大津市)の現地説明会に行ってきました。いや、もう噂には聞いてたけど凄いわ。ホンマ凄いわ。なにこの遺跡。相谷熊原のあの無数のピット見た時も「なんやこの縄文テーマパーク」って思ったけどこれはさながら関津キャッスルランドか。
 関津城…宇野氏の城で、戦国終末期頃の城郭…らしい。結構大規模な城郭らしいけど詳しい事は一切不明で、そもそも戦国期の城郭を本発掘調査した事例自体が珍しいらしい。…まぁ学術調査じゃなく今回も工事に伴う調査だけど。

2010年8月2日月曜日

山城マップ会合 第2回

 …の前に、滋賀県では滋賀県内を観光してその模様をブログ(や各人のHP等)に掲載してくれるブロガーさんを募集しています。JTB経由で応募し、採用されて条件を満たす(旅行に行ってブログを書く)と最大3万円の交通費が戻って来る(1泊2日の宿泊費と食費は無料)(経路に含んだ施設は基本的に入館無料)という…昨年度くらいから何度か新聞にも載ってる事業です。ようやっと募集が始まりました。別に女性に限らない募集なので、男性の方もご応募お待ちしております、とのこと。締切は8月17日です。
 で、私は応募しないのかって…してませんよ。だって平日を含む宿泊といい、戻ってから10日以内に写真15枚以上掲載でブログにUPって…無理。いや、UPは頑張れば出来るかもだけどかなりキツい。っていうかブログに写真15枚ってさ…1つの記事に15枚じゃなくてもいいんだよね? ね? フリーのブログ使ってる人によっては貼り付けられる写真枚数に上限あるんじゃないのかな…そこんとこどうなのかちょっと誰か突撃質問してないのかな。…自分でやれって話ですかね…。
 そんな訳で山城マップの方の第2回です。…あっ7月25日のことです。

2010年7月24日土曜日

実はスゴい物?

 先月、佐和山城遺跡の発掘調査の終了に伴う地元説明会に行ってきたのですが、その時にだけ並べられていた土製の犬の人形。これが実は凄い物なんじゃないの? という話が出たのでそれをちょっと書いてみる。
 件の人形はコレ。調査終了間際に出土したらしく、新聞とかにも出てなくて、先月の説明会の日が初お披露目だったという一品。その時は特に何とも思わなくて見て、写真撮ってたんだけども、今日、ふとした事からこの話題になって、写真を見て貰ったら…実はコレ、凄いんじゃないの? という話に。

2010年7月8日木曜日

宇佐山古墳群(13号墳)現地説明会

 先週の7月4日に行ってきたのですが、ちょっと色々…書いていいことよろしくないことを思ってるうちに気がつけば一週間が過ぎようとしていました。ネタがないから書く方向で決めたとも言う。
そんな訳で宇佐山古墳群(13号墳)の現地説明会に行ってきました。現場は近江神宮時計博物館の横、砂防工事に伴う発掘調査です。宇佐山古墳群、という名の通り、12基の古墳の存在が知られていたのですが、今回は新しく発見されたので13号墳です。
 というかさ、新しく古墳が発見されたって凄くない? と結構この時点で前のめりなのですが。…そして妹(私という多趣味かつオタクな姉がいるのにびっくりする位『普通』の『リア充』)にどん引きされた訳ですが。
 現場から琵琶湖を見た風景。工事のために木が伐採されてるとこんなにも見晴らしがイイ! 生憎朝からの雨(現説前には止んでた)でどんよりとした空模様ですが、晴れてたら三上山までスッキリ見えるくらいに見晴らしがイイ。
どうでもいいけど前日の豪雨+朝からの雨+気温急上昇のコンボでものっっっすごい湿度です。べったべた。これが容赦なく血圧を下げていくというか…あ…これ…貧血の前触れ……。

2010年6月29日火曜日

週末からこっちの歴女な日々

昨日も書いた宇佐山古墳群(13号墳)の石棺の蓋を開ける動画。…ただし寸止め。

 そこまでじらしてここまでかよ!! っていう動画。中身は新聞に出てた通りですが。実物見たい人は現説行ってね!

2010年6月28日月曜日

宇佐山古墳群から真っ赤な頭蓋骨

大津市神宮町の宇佐山古墳群で、古墳時代中期前半(5世紀前半)の古墳の石棺がほぼ完全な状態で出土、中から魔よけの顔料で赤く染まった頭蓋骨も見つかり、滋賀県文化財保護協会が28日、発表した。(47NEWS 共同通信)
 いや、ホントに真っ赤だから是非現物(現説では展示される筈)を見て下さい。石棺の中も頭部に近い方はホントに真っ赤。なんで頭部だけ赤いのかっていう説明は多分現説であるだろうから現説行って下さい。
 石棺はかなり小さい。私(小柄な女)で肩幅ギリギリかな…男性にしてはちょっと…いや、かなりキツい大きさだから…再葬とかもがりの途中とか…この辺も説明はしてもらえる筈。たぶん。
 正直骨だけ、だけども骨が凄くキレイに残ってる(ただし上顎だけ)から解りやすいといえば…解りやすいかも。あと、現地から琵琶湖への見晴らしは最高だからそれも是非。

現地説明会は7月4日(日)10時~と13時半~
場所は近江神宮時計博物館の横。駐車場アリ(係員の誘導がある筈)。京阪近江神宮前かJR湖西線大津京駅から徒歩圏内。

 現説はなんでもそうだけど、晴れるといいなぁ…。雨でもあんなに人が来るのは佐和山くらいだよね…佐和山の現説は過去3回全部雨だそーな…うん、そういや毎回傘持ってた気がする。

2010年6月26日土曜日

女性の為の山城MAP 第1回

滋賀県教育員会文化財保護課(と観光交流局)が実施する「女性のための山城マップ」作成ボランティアに当選していました。…応募したことは確かここでは書いてなかった…と思う。
 で、本日が第1回という訳で安土に行ってきました。佐和山城下から観音寺城下への移動ですよ。この間外はものっすごい土砂降り+暴風。…大丈夫かいな。結局博物館に着いたのはぎりぎり13時でした。…うん、バス組よりは早かったからセーフ…。
 ブログとか持ってたらじゃんじゃん書いていい(意訳)との事なので完成予定のMAPの広告も兼ねて書いとく。

佐和山城遺跡地元説明会

 佐和山城遺跡での発掘調査が終了するのでそれにあわせた地元向けの説明会に行ってきました。…え、地元人ちゃうやんけ、というツッコミ、ええごもっともです。3日前までは「地元向けだし~」と行くつもりはしてなかったんだ。それが一昨日「土曜日佐和山来るんでしょ?」「え、来ないの?」と言われたら…ねぇ…「じゃあ行きますよ」と言ってしまうのが私の性格だよ…! と言うわけで言ってきました。ちゃんと今日は現場に行くためだけの格好で。頭は相変わらず盛ってるけど(休日だから仕事しないぞという暗黙のアピール部分)足下はトレッキングです。ジーパンはスキニーだけど(仕事しないぞという暗黙のry)
 ええ、ご多分に漏れず雨でした。まぁ小降りだったからマシかなーと。

2010年5月16日日曜日

平城遷都1300年祭

昨日おかんに誘われて言ってきました平城宮跡。せんとくんで話題の平城遷都1300年祭です。むかーし、ロマントピア藤原京とかやってた頃はなーんにもなかったよねココ(いや、朱雀門だけあった気がするが)…あれ…もう…15年前…?
 ともあれ、朝イチで行ったので大体は混み合う前に回れたかな、と。昼過ぎたら踏切の所でスゴい人たまってたし、大極殿も入場待ちになってたみたいだし。1枚目の写真はそんな朝イチの大極殿遠景。この時間、多くの人は朱雀門が9時に開くので太鼓が叩かれたり衛兵隊が出てくるらしいので朱雀門前に集合中。
 準備ほぼゼロで行った感想が続くよ!

2010年5月9日日曜日

賤ヶ岳祭

2年ぶりに賤ヶ岳祭に行ってきました。一昨年は電車で行って、木ノ本から徒歩で大音まで歩いた訳ですが(3キロ弱?)今年は車で行きました。塩津周りで。161バイパスがちょっと延びてて、車も少ないもんだからみんな…飛ばすね…夜の湖岸道路並。ここは高速じゃないよ…!!
 そんな訳で予定時刻より随分と早く到着してしまったのでまだ開会式典とかやってました。ちょ、早すぎ。

2010年4月30日金曜日

下羽田遺跡現地説明会

昨日は博物館の後で滋賀県東近江市の下羽田遺跡の現地説明会に行ってきました。…現説行くつもりしてなかったから足下はグラディエーターだしトレンカだし髪は巻いて盛ってるし…ととても不釣り合い。まぁいつもの『休日モード』な格好だけどもね、現場には不向き。
 遺跡の概要というかニュースは以下から
毎日新聞 / 朝日新聞 / 中日新聞 / 読売新聞 / 京都新聞
 予備知識とかほとんどないままで行ったから現説資料と現地での説明からのみ。左の写真が竪穴住居の中の竈。家の真ん中の炉から壁際で排煙坑(煙突)を持つ竈への移行形態にある時期の遺構だそうで。西日本やらでは調理場所として炉→竈の移行が結構早い段階から行われて、完了してたらしいけれど、東北では比較的最近まで炉で調理をすることがあったらしいから、そこらへんが地域性なのかな…?

2010年4月28日水曜日

良い天気…すぎる

昨日の大雨+暴風が嘘の様に今日は良い天気。あまりの良い天気に外出たい現場行きたいを繰り返して(金曜日に休みを取って現場に行く約束を取り付けました)いたら、今日の午後の現場出張についてくるか?とお誘いをゲットしました。行く行く!(即答) ただくっついていくだけでは何なので、写真撮影係名目でシャッターを切りまくっておきました。…にしてもだ。「沢山撮ってきてや」と言われたから心持ち多めに撮った(あくまで自分の感覚として)ら1時間半で80枚くらいでした。…あーまぁこんなもんかな(あくまで自分の感覚)と思っていたけれど…帰って「80枚くらいサーバー入れときました~」と言った時の反応が…「え、そんな撮ったん!?」みたいだった件。感覚のズレがまたここで。
 明日は東近江市で現地説明会(参照ニュース記事:下羽田遺跡:にぎわいにけり 古墳時代中期のかまど住居確認--東近江 /滋賀)があるけれども…天気は大丈夫かな? 新聞記事とか、説明会配布資料で文面と写真だけ見てると何がどうスゴいのか伝わってこないけど、現地で話を聞くとどうスゴいのかがちゃんと解る…事が多い。遺構がどういう場所に、どういう間隔で並んでて、土の質はどんなん、とか一部分だけの写真では解らへんしね…。質問が活発に出るような現説だと何がどういう理由でどうスゴいのかがよく解るからみんなどんどん質問しはったらええんとちゃうかな、と(突然京都弁)

2010年3月20日土曜日

佐和山城遺跡現地説明会

さて、昨年7月に引き続いて佐和山城遺跡の現地説明会に行ってきました。彦根に限らずこの日は西日本全域で超良い天気。七分丈でも黒を着ているだけでじりじりと焼かれるような暑さの日でした。7月は雨だったから晴れて良かったよホント。
 で、早速写真は第1調査区です。…こなれたようなでも手抜きな画像補整ですいませんよ…。A/B/Cはそれぞれ時期の差です。溝Aと溝Bは同時期のものではなく、道Bと井戸Cは同時期ではなく、溝Bと道Bは同時期…という意味で見て下さい。溝Aは溝Bよりも早い時期のもので、その後、溝Aが堆積物などで浅くなった所で埋め戻して新たに溝Bを掘り、道Bを溝Aの上に重なるように造成した…とのこと。だから道Bの横幅は片方は溝Bまでだけれど(見えている部分)、右端は溝Aの上を通って右側の畑地の所まで伸びている筈(未確認)。また、井戸はこの道とも溝とも同時期のものではない(そりゃ排水路に重ねて井戸は掘らんよ)が、これらの遺構はたった数十年の間に前後して掘られたもの、かつ堆積している土砂が粘土質ということで、溝というよりは淵のような…水が流れるというよりも溜まった状態のじめじめした水路だった模様。現状でも、数日前に降った雨の水が写真の状態。とても水はけが悪い場所。そんなんだから溝が堆積物で埋まるのも早くて、短期間に掘り直しが行われた模様。この道だけど、右手の今は舗装されてる道との関係性はまだ不明とのこと。傾斜とかが現存の道とは異なるから、同時期に両方とも存在したのか、有る一定時期に現存の道に大規模に造成し直されたのかも解らないとのこと。
今回は第1調査区、第2調査区ともにトレンチ1本ずつなので、元々掘り返した範囲も狭くて色々確定出来ない事が多い様子…。