今日明日は地元の祭があります。毎年この時期が祭なもので、GWに旅行に行った事がない…というのがある意味当たり前のような環境でした。とはいえ、一昨年は仙台に行ったし…と自分で動けるようになると別段、何の役も当たっていない(女なので当たる訳もない)私はどこへなりとも行ってしまえるのですが。
去年、鎮座1150年祭を行ったこの神社、一応歴とした(日本語の矛盾)式内社(日本初の神社リストである延喜式に掲載されている神社で載っていると当時から朝廷に認められていた証になる)です。つまり明治以後になってから出来た橿原神宮とか、平安神宮、近江神宮、明治神宮などは必然的にそうじゃない神社ということになります。なので、近代になってから新たに社格を設け(というか設定しなおし)ていたのですが、戦後は表向き、そういう社格は廃止された事になっています。…表向き、というのは実際の所、元々『官弊大社』であった所は今もそういう社格を保っていて、そうでない神社が『ウチの方が人気』とか上に出るような事は実際問題不可能なので、結局のところ序列は残ってる訳ですよ。で、延喜式<近代社格です。だから延喜式の時代には当然無かった明治神宮の方が他の式内社よりも上の『官弊大社』な訳です。
それはさておき、今日は宵宮で、明日が本宮なので、今日の所はまだ御輿も出ず…というか舞殿におかれてはいるけれども。今日は子供御輿が出る日で(これは女の子も担げるので私も10数年前に担ぎに行きました)、大の大人なら4人で担げるような軽さの御輿なのですが、それでも子供心に重かったのを覚えています。他のお稚児さんとか警護(という若い…といっても中高生~未成年くらいの男の子がやる役目)は今日も明日より短時間とは言え、お仕事です。
田舎さ加減が見て取れるウチの地元ですが、この年になって私、この地元が大好きです。ホントに精神風土が中世で止まってるというか(良くも悪くも)。これは京都の人の感覚に似ているのかも知れませんが、近世以後に人が移り住むようになった場所には無い、1000年前の生活の痕跡(神社もそうだし、伝承であったり遺跡であったり)が残ってる場所で生活してるというのは歴史好きとしてはそりゃもう…良い場所です。まぁ長短あるのですがそれはさておき。
この祭も田植え前の雨乞いの祭と、平安時代が起源の部分もあって…ええ、とっても中世的な祭です。大津祭や長浜の曳山祭なんぞはどっちかっつーと近世的なものですが、そういう意味でも精神風土としての時間は1000年前で止まってるって事ですねウチの地元。
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