白鬚神社。湖上からだと鳥居が重なった上に背後の山(と青空)までしっかり収められました。うん、ここらへん定期航路ないからチャーターした臨時の航路からでないと見られない景色。…もちろんここらへんにも水泳場あるからそこで泳ぐ…というかジェットスキーとかに乗れば見られるんだけど。
…この白鬚神社、湖西でタダでさえ狭い陸地なのに山が琵琶湖に突きだしてる部分にあるがために(いや、そういう所だから神社が置かれたんだけど)、結構酷い扱いになってると思うのは私だけじゃないと思う…。鳥居と本殿との間には国道161号線が横切り横断も難しいような場所で、ご神体である背後の山には湖西線のトンネルが貫通…。そりゃ相当揉めたのも納得…でもそこを通すしか湖西の交通は繋がらない訳で。湖上交通全盛の時代には灯台的な役割だった神社も陸上交通がメインになると…狭い所に居座って、的な扱いになってしまうのだろうか…。
で、この白鬚神社は6歳…だっけ? の時にお参りして『名前』を貰うという古来からお参りの仕方があるんだそうな。それはやっぱり6歳までは『かみのうち』、人間としてみなされないというか、そういう事と関係があるんだろうか。幼児死亡率が高かった時代だから6歳を過ぎると一安心=人間になる、逆にそれ以前は神のうち、いつ神様(当時は神仏の明確な区分はない)の元へ行ってしまう(死んでしまう)か解らない半人前扱いというか。それで6歳になるともうここからは人間です、という意味でお参りして『人間として』の名前を貰うみたいなニュアンスかな、と。乳幼児は連れて行かれるのを嫌がって態と縁起の悪い名前(捨とか)をつけたり、一旦床に置いてから抱き上げて「拾い子」にするとかいう風習もあるというし…。
で、この神社の本殿は豊臣秀頼の寄進によって建てられたもの…らしいです。棟札とかも残ってるし。…ただ、こういう神社とか寺院というのは途中で改築とかされてても表向きには解らない…いや、本格的に掘ったりして調査したら解るんだけど、隠したりするから丸ごと全部が当時の、と真っ正面から信じるのは危険…。
ついでに浮御堂。大津のシンボル的な存在(かもしれない)。あ、でも一応大津に入ると路肩にある『大津市』の看板にあるマークは浮御堂。
このお堂の中には千体仏といって、千体の仏様が祀られている…のですが、過去の台風の時に何体か行方不明になって今は990数体しかない…というのを過去に聞いたことが。それから後に補充(というと聞こえは悪いけど)されたのかどうかは解りませんが。この中、というか回廊に入るにはお寺の拝観料が必要ですが下から見上げる分には敷地の外なので特に払わなくてよかったハズ…とはいえ、湖岸縁なので波打ち際(石畳)ですが。異常渇水の時には湖底まで見えて問題になった所です。
後、遅ればせながら嵐のベスト盤買ってきました。…いや、ほんと今デビュー曲聞くと大野さんしかソロが無かったのがとてもよく解るというか。…そりゃ昔から大野さん上手かったもんね歌。…や、ダンスもあの中じゃ一番でしたよあんな顔して(ちょw)結構アクロバティックな動きしてたしね。…ええ、涼しい顔で前宙とかしてましたねそういえば。でも大野さんといえばマイク使って咳したあの場面がもの凄く…今でも忘れられません。
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