2009年5月31日日曜日

湖東~湖北

 サンガ仲間のSくんCちゃんKちゃんと一緒に湖東~湖北をかる~く彷徨いてきました。
 まずは安土城考古博物館。ええ、私の庭みたいな博物館ですね。そこで特展と常設とをさらっと…一部私の解説付きで。つーか私の薄っぺらい上に古代分野しかやってないのが丸わかりの解説で正直すまんかった。
 安土からは8号線経由で彦根へ。いつもの親子丼の店で昼を食べてからいつもの如くしょうぶやさんへ。山形土産と先週電話で頼み込んだ本を届けに行ってきました。店長にはホント無理言って申し訳無い…感謝してます。
 彦根城は来たことがあるとのことで次は長浜へ。つーか長浜のあそこの駐車場は何時来ても満車だな! 桜の時期以外は臨時も空いてないからホントどうしろというのか。何が『大』駐車場かと。
 それはさておき長浜城歴史博物館です。4月4日に行った時は兼続の面影ゼロだった長浜城ですが、今日はしっかり三成と兼続的な展示が出来上がってました。三成の左近文書(仮)は置き場が無くなって撤収されてました。検地尺は置いてあったけども。8月以降はひたすら関ヶ原テーマに1ヶ月単位の展示替えが待っている模様…通えと!?

2009年5月28日木曜日

「こんばんは」な時間

 アナウンサーがした挨拶が「おはようございます」ではなく「こんばんは」な件(@3:35AM)。…え、おはようじゃないのか? テレビ的には『昨夜』の延長の27時なのか!?
 それはさておき。
 昨日のチリ戦は見ている分にはとてもおもしろい試合でした。感想云々とか後で書く事を全く考えずにだら~んと見ていたので特にコレと言った感想はありません。強いてあげるなら山田は18には見えんくらい幼く見えました。以上。
 で、松井がいないチリ戦よりも重要度は上、と見なした智星のいるUEFAですよ。去年は準決まではスタメンあるいはベンチスタートでもメンバーにいたのに、決勝ではベンチ外でがっかりしたのですが。今年、今日はスタメンですよ。アジア人選手としてUEFAのファイナリストになるのは初なんだとか。…凄いなぁ智星。
 しかしHTのあの訳のわからないテンションのあれはなんだ。いくら向こうでゴールデン、かつ彼の持ち前のテンションとはいえ、朝4時半すぎの日本人(かつ試合を見たいだけ)には『ハァ?』ってなもんな気がします。…少なくとも私はそう思た。
 今日は電車で出張やからいつものように立ったまま寝る予感。…出来るようになるんだよね、立ったまま寝る。高校時代から電車通学だったからいつの間にか身につけてしまった使えないスキル。むしろ寝られてしまうから電車の中の超ハイレベルな睡魔様がさらに強力に…。

2009年5月23日土曜日

出陣でまかり通る

 さて、そんなこんなで現在米沢のホテルでLANにつないだネットブックをたたいています。…そう、このために(でもないけど)持ってきたネットブックですよ。ネットブックの正しい使い方(違)
 富士山は反対側で見られなかったのですが、新潟までは雲も少なく、とても良い景色でした。雲海からつきだした白山とか凄いキレイで、これは木曽…の筈(ぇ)一番北だから木曽…の筈…! 白山といい、乗鞍といい、まだ雪が残っている様子が凄くキレイでした。ルートがルートだけにそう思うのかもしれないけれど、日本ってやっぱ、山多いわ、と。
 で、山形が近づくと…上空からも解るちょっと変わった形のハウス。…そう、さくらんぼ。そりゃさくらんぼ東根とかいう駅名にもなるわなっつーくらいにサクランボ畑が広がっていました。
 空港からはタクシーで天童まで。ここで先着50名に配布されるという駒を求めて…! 来たのですが、タクシーの運転手さんが言うにはAWAYのチケットは60枚しか出ていないそうな。…へえ、60枚。感覚がずれている気がします。それはそうと、タクシー乗ったら『サッカーの応援…じゃないですよね?』と否定形で聞かれました。…え、そう見えない!? 応援しに来たんですよ! これでも!
 写真は天童駅前にあったタイル。…これはもしや詰め将棋の問題!? と思って写真を撮ってみました。…手持ちが金ばっか3枚ってそれもそれでどんな展開? と思いつつ、詰め将棋の問題に展開は特に関係ないのかな…。
 駒をゲットしついでに車に拾って貰えたのでそのままのほほんとスタジアム入りです。60枚しか出てないってことはウチ何割が顔見知りだろうねー…とか言ってましたが。…5割くらい?(薄笑) 駒も先着50名といいつつ…ええ、一人で複数貰えるくらいでしたよ。…それにしても山形(天童)、AWAYサポ歓迎体制が凄いわ。

 さて、続いてはスタメシです。まずは山形名物炎のカリーパン。相手が京都だけに今回のスペシャルの方は鱧が入っていたそうで…私は鱧嫌いなので普通のカレーパンです。…普通においしいですよコレ。
 で、これだけで足りる訳もないので、入ってからもまだ食べます。気になるネーミングは『噂のカレー』。…どう噂なのかとても気になるので食べてみました。…私もJODANSカレー部の仲間入りですかね…もう。ライスはサフランライスです。カレーは別の器に入っててしかも専用蓋つき。福神漬けの分量も結構多くて、トータルで西京極カレーよりもボリュームがあるように見えます。…西京極はおばちゃんの裁量次第なとこもあるしね…。サフランライスはおいしかったですよとても。
 で、試合内容の前にまだまだネタを拾っていきますよ。
 山形の選手紹介、まるでパワポで作ったかのような紹介ムービー…なのですが。ベンチメンバーの早送りっぷりが非情。まるでサブリミナル効果のような紹介映像でした。そして何より最初の画面が出陣でアナウンスが『まかり通る!』ですよ。…や、そこまで武将を意識せんでも。
 山形はチアが女子高生。…じょしこうせい!!(大事な事なので2回言いました)
 試合内容は…点さえとれれば言うことない…とまでは言わないけど。水曜の試合があんまりにもあんまりな内容だったので、今日の試合はおもしろかったです。ホントに90分あっという間だったので…後はそう、ほんとに、点さえ取れれば。
 とにかく水谷は神ということでFA。
 あと、今は米沢にいるのだけれど、ホントに猫も杓子も『愛』だな! タクシーの運転手さんも『愛の前立ての兜が…』とか言うてたけど、別にアレ実際身につけて歴戦した訳でもないし。どっちかっつーと儀礼用でしょアレ。ここまで『愛』わっしょいだと逆に怖じ気づくよ…。

うかつ!

伊丹空港です。
…中国道渋滞といいつつ途中から下道で早く着きすぎたー!

でもって携帯機種変してから乗ってなかったからタッチアンドゴーの設定してなかった!(アホだ!)
保安検査でぴっとやったらエラー出て初めて気づいた(笑)
カードのほうタッチで問題なくいけたんだけども。
帰りはちゃんと携帯で出来るようにしとこう…カード財布から出すの面倒だし。
まぁどーせPCは出さなあかんのやけど。

そんなことより

相変わらず ぴー と鳴るわけですよ!
つーか鳴らなかったことのほうが少ないよ!

今日はどーもジーパンのフロントボタンがひっかかったちっく…?
もう検査員のおねぃさんに胸触られるのも慣れたものです。
女性用下着って普通ひっかからないんじゃないのか!?
帰りもまた鳴る予感。

とりあえず時間はたっぷりあるのでせっかく持ってきたPCで仕事でもしようかと思います。
…原稿するつもりで資料も持ってきたしね…

2009年5月22日金曜日

事前準備

 事前というか前日準備ですが。とりあえず昨日の昼休みに山形新幹線の時間を調べたので(アナログなことに時刻表で)、今日…というか今夜すべきことはずばり、『米沢でどこへ行くか』です。もう食事までは手が回らないので最悪、コンビニ弁当かファーストフードです。流石に試合も歴史も食事も…ってのは無茶なので(というか事前の予習が半端ない…)、重要度で劣る食事を外しました。…そりゃ出来れば米沢牛食べたいけども。そこら辺はのれんみて入ればいいかな、と。一人で定食屋とか全然気にならない性格でよかったよほんと。
 で、米沢で行く所…とりあえず城址周辺かな、と。あんまり手が回らないから後は駅前の宮坂考古館と御廟くらいだろうか。ほぼ一直線に2キロ位の間にあるから回りやすいかな、と。ゆっくりじっくり見ている時間はハッキリ言って無いので、多分図録とか買いあさりな予感…。イタリアとか中国で超駆け足だった時は行く先々で図録買い込んでものッスゴい重たい手荷物になっていった気が…ウフィッツィとかホント凶器だよあの重さと固さは。値段も半端なかったけどね…30ユーロくらいした気がする…。当時はユーロ高だったから1ユーロ160円台とかだった時ですよ。要するに図録1冊に5000円近い金を払った訳ですよ。…興味ない人からすればアホ以外の何ものでもない…。
 凶器と言えば、田原本町が出した唐古・鍵遺跡の報告書(1冊目)が豪華装丁…と私は呼んでいるのですが、布貼りの表紙(紙→紙にカバー→布貼り箔押し)で3冊組みで箱入りという…間違い無くアレ、1冊(というか1セット)で2キロ位あるね…! 報告書って紙の束だからタダでさえ重いのに豪華装丁でかつ3冊組みで1冊あたりの厚さがどう見ても4センチ以上…。…凶器だ。でも内容は面白そうなので休み明けにでもチェックしてみようと思ってはいます。

2009年5月16日土曜日

前田慶次道中日記

 米沢市の図書館が刊行してるヤツをたまたま彦根で見せて貰いました。伏見から米沢に至るまでの道中記なのですが、滋賀県大津市堅田での滞在が実に20日以上…というのはさておき、その部分が具体的かと言えばそうでもないのですが。それでも行間を読む…ではないのですが、注目するポイントはある訳で、『堅田から竹生の横を通って薩摩経由で米原へ』という記述。
 つまり堅田から船で竹生島の近くを通って彦根市薩摩に寄港、そこから米原へ移動したということで、堅田は中世~近世に至るまで、漁村(御厨)から湖上交通の要衝を締めて『湖賊』として湖上交通の実験を握っていた場所です。実際、堅田から現在の米原市・彦根市などへの行き来があったことが堅田から出土した墨書土器に書かれた地名からも解っています。そこから船に乗るというのはとても理にかなっているのでそのルートを使ったのでしょうが、前田慶次みたいな言い方は悪いけれど『超有名人』もそのルートを通ったというのが…感慨というかなんというか。単独でも意味がある事(物)だけれど有名な仲間がいるとちょっと嬉しくなる心理というか。
 たとえば最近…でもないか…4月25日に新聞に載った守山市下之郷遺跡の人面ココヤシな。単独でも意味があるもの(少なくとも滋賀県は内陸なのでココヤシが勝手に漂着する訳がないから誰かが持って来た)だけども、正倉院にも同類の物があるってだけで何かスゴい物に思えてくるというか。このココヤシ、安土城考古博物館の今の特展で特別出品されてました。下之郷遺跡も取り上げてるからそのお仲間ということで呼んで貰えてる模様。思ったよりも小さかった…正倉院のはもっと大きかったから…新聞の写真とかで並べられてると縮尺解らんよな…と。

2009年5月14日木曜日

超ピンポイント

 過去に『歴女』って、とかいう記事も書きましたが、何とまぁ今年の大河(いつの間にか本能寺終わってた大河ですが)…何でもBLでアニメでしかも原作者だか脚本家だかのOK付きなんだとか? マジでソースを探す気にもなれなかったのであっちこっちで小耳に挟んだだけの情報ですが。いや、もう真偽の程はどうでもいいんだ。
 ばかにすんな。
 の一言なので。
 オタク⊆歴女でかつオタク⊆腐女子だけども歴女=腐女子では断じてないんだ。オタク⊆(歴女∪腐女子)…で書き方あってる? 歴女は広い意味でオタクに含まれ、腐女子も同じく。歴女かつ腐女子であることもあるけど(少なくとも私はそうだ)けど歴女は腐女子である、もしくは腐女子は歴女であるとは必ずしも言えないからこれらは別の集合体と見なせる。
 で、歴女∩腐女子であってもそれぞれの思考が混在してるかどうかでも大差ある訳ですよ。腐女子的な、言ってみればBLが好きであっても史実でBLを考えるのは嫌いだという人も沢山いるし(むしろこっちの方が多いんじゃないだろうか)。
 で、だ。今回のはごくごく少数の歴女∩腐女子、歴女かつ腐女子である、という部分のみをピンポイントで狙ってる上に、更に『史実妄想』という…更にピンポイントを付いてきてる訳ですよ。この時点で当初の『歴女』『腐女子』の集合体の中の何割まで減ったか。…間違いなく3割切ってると思うよ。私はこの歴女∩腐女子までなら入るけど歴女∩腐女子∩史実妄想まで絞り込まれると該当しなくなるので。…さらにコレを『史実BL妄想』にしたらもっと狭くなるよ。そういうピンポイント過ぎる所を突いてるんだよ。歴女はオタクだからこういうものを与えておけば喜ぶだろう、とか思って制作側が考えたのだとしたら、多くの『歴女』はそんな制作に対して失望してる。大体そんな余計な事に気を回す位ならもっとまともな大河を作って欲しい。なにあの描きバック。あんなのはNHK教育だけが許される事でしょうよ。
 …とはいえ、私は『歴女』の集合体の中でもものッスゴい辺鄙な部分にいるけれどもね…『歴女』は戦国(室町時代後期・元亀~慶長年間)と幕末(明治維新前後10~20年)に集中してる…ように思います。…で、私はハッキリ言って文字資料あるかないかくらいの時代~古墳・奈良時代がイチオシなので。…史実妄想たって教科書登場クラスの登場人物超少ないですよ! みたいなね。…や、どんなに少なくともやるひとはやるんでしょうが。

2009年5月13日水曜日

1人で狩れるもん

 超久々のゲーム記事です。いえ、5月頭からまたやってたんですけどね。
 何年かかってんだよ、とか100越えてから何ヶ月放置ってんだよ、と言われつつ、やっと120になり、4次職になりました。ビショップの仲間入りです。
 プリーストとして攻撃力は全職中ぶっちぎってドベ、自分で狩れるのはアンデッドのみ…という状況で友人に吸わせて貰いまくって120に到達しました。120が近くなるとドゥーム狩りを覚えてクエスト品の為だけにドゥーム狩りしてましたが、やっぱり潔くずばーんと倒したい訳ですよ。相手を無抵抗にしてちまちま削るよりもどかーんと倒したい。
 というわけで、ジェネシスを覚えてからは薬代? ナニソレ、な勢いで色んなモンスターにジェネシスをぶっ放してます。ジェネシスも友人に手伝って貰ってゲットしました。やっぱコレがないと攻撃力最弱のまんまやしね! …いや、手に入れた所で最弱は変わらないんだけど、その差は随分縮まるというか。…ダメージ3倍~5倍くらいになったしね…それまでと比べて。初ジェネシスの餌食はショーワ裏通りの手下Bでしたが。…何と言うちくしょー。
 んで、攻撃対象が今までの最大6体から最大15体になった上に攻撃範囲が超広がったので…アイテム収集用にペットを導入しました。死神Jrです。…イヤ、紫のペットがこれ以外に可愛くなくて。…死神可愛いよマジで。座ってるとほっぺたぷっくりで垂れてるんだよ。マジでカワイイ。…死神だけど。死者復活スキル持ってるビショップが連れてるペットが死神だけど(笑) まぁ死者復活のリザレクションより大量虐殺のジェネシスばっかり使うのですが。
 ペットに特定の単語を話しかけると反応が返ってくるのですが…。


 死神Jrの属性はツンデレな様です。

2009年5月10日日曜日

飛鳥~その5~

 昨日は寝落ちでした。あともう1カ所行ったので写真と一言だけ載せておきます。
 酒船石からどんどこ歩いて1kmちょっと? で石舞台古墳に着きます。ここ、実は初めてきたのですが(通った事はあるけど石室部分に入ったのは初めて)、なんだ堀もちゃんと残ってるじゃないか(超今更)。どうしても写真とか映像とかでは『石舞台』の名前の元にもなった石室部分だけが映ってて、周りの状況が見えないからあんな綺麗に残ってるとは思わなかったです。本当に『方墳』な堀で…説明によれば「方墳あるいは上円下方墳」とやら。…や、なにそのジェゼル王の階段ピラミッドみたいな上下別構造。
 被葬者は蘇我馬子説と蘇我稲目説があるらしく、水野先生は稲目説だそうで。どちらにせよ、蘇我氏が力を持っていた時代の墓で、大化の改新以後に懲罰的な意味で盛り土を剥がれた…というのが定説のようですが。今は整備されているので結局のところ一体どこまで盛り土がはぎ取られて、堀が埋められたのかは当時の報告書とか過去の写真とか見ないと解らないんですけども。
 石室の内部は開口部がぽっかりと空いているのに何かひんやりとした空気でした。…日陰だからか(身も蓋もない)。石室内部というと、出雲で一度入ったのと、韓国(慶州の古墳公園にある天馬塚古墳)でだけなのですが、流石、大きい。出雲のそれは古墳時代中~後期のもので、石舞台はそれ以後、しかも当時の国勢のNo.2とかNo.3とかの墓な訳で…そりゃ規模全然違うわな。高さという意味ではとても高い天井なのですが、横幅は意外なほどに狭いです。あれ? こんなもん? みたいな。横幅だけならもっと拾い石室は他にもある筈(再現とかで入った感じでは)。
 そんな感じで歩き回って帰りの急行では相変わらず爆睡でしたとさ。

飛鳥~その4~

 続いては万葉文化館です。この建物の下(周辺)には飛鳥池遺跡があり、富本銭の鋳造遺跡が出土しています。だからこの建物は設計変更された上で、鋳造遺跡には4m土盛して上に出土状況を再現したものを置いている…らしい。この時期の飛鳥はあっちこっちにボランティア説明員さんがいるから話を聞き始めるとあっという間に30分1時間…ですよ。それはさておき、この再現展示…出来ればホントの発掘現場の検出状況よろしくピットの周りには白線を引いておいて貰えると…いいのになぁ…と思いながら見下ろしていました。なんせピットの数も多いからどれがどれやら。
 キトラの特別公開が飛鳥資料館で開催してる時期だけホンモノの富本銭がここで展示されているそうで、見てきました。…マジで1枚だけ出たという…完璧な富本銭。当時の鋳造技術だと、隅っこが欠けたり、文字の部分が薄くなって穴が空いたり…というのがかなりの数あるのですが、それもなく、文字もくっきり出ている…まさにお手本のような完成品。…普段は奈文研にあるそうです。どうでもいいけど独立行政法人と名前を変えてもやっぱり『国立』という肩書きは変わらないなぁ…と。そんな『国立』奈文研(飛鳥資料館)と張り合う『県立』橿考研(附属博物館)とで飛鳥地域の博物館は外から見てる分にはとても羨ましい感じになっています。
 出土資料と言えば、この飛鳥池遺跡は天皇直轄の工房だったということで、鉄製品を作るための木製の見本とかも出てるのですが、何が特徴的って『漆』だと思うんですよ。須恵器の皿の中で漆が固まったものとか、漆を塗るハケとかが出土してるんですが、こんなの、他の地域じゃ出ませんよ、まずもって。器に漆を塗るなんてのは高貴な人のみの物な訳で、都でなきゃ出ませんよこんなの。あと、硯、円面硯。足の部分が馬…かな? の円面硯とかが出てて…これ、地方になると転用硯が増えるんだよね…と思いつつ、『首都』の貫禄を見せつけられた気分です。やっぱスゴいよ奈良…別格だよホントにここは。
 この万葉文化館のすぐ傍にあるのが酒船石遺跡です。10年位前に発見されてものっっすごいニュースになった亀形石槽・庭園遺跡です。…いや、マジであの時はスゴかった。ニュースとか延々取り上げられて、ヘリまで出てたしね。今は公園として整備されているので、辺り一面に渡って発掘された石敷きの部分は大部分が埋め戻されています。…もちろん土嚢で埋め戻されている模様。亀の鼻に繋がる水は…多分ポンプでくみ上げて流してるんやろな…偶に詰まったような音がしてたから。協力金を徴収するならポンプの詰まりはどうにかしといて欲しいです。
 そんな亀形石槽のある場所から登った先にあるのが酒船石です。横にあるノミの跡はこの場所に安置されて以後に恐らく石材として切り出された跡です。…これもまだ用途・目的が不明な石像物。間近で見ても「何だろうこれは」という疑問がわいてくるような…変な形(の溝)。わざわざこんな小高い場所にこんな石を運んで、かつこの場所でやらなければならないような事…となると、『特別な事』に違いないのでしょうが。

飛鳥~その3~

 延々歩きます。
 とりあえずさらっと2カ所(3カ所?)を見た跡は体力があるウチに、と甘樫丘に登りました。もちろん整備されてますが、整備されてるかどうかと体力の有無は全くの別問題です。鈍りきった体に延々上り坂はキツかったですとも…!
 そんなこんなで登り切ると…絶景です(写真撮ってないけど)。飛鳥が盆地だということがよーく解ります。小墾田宮跡も盆地なら飛鳥板葺宮も藤原京方面(その向こうに天香具山)も広い意味では奈良盆地の中で、遠くに二上山やらが霞んで見えます。二上山といえば、大津皇子が葬られた場所として有名…な筈なのですが、どうしてもそれより古い時代ばかり扱っていると『サヌカイトの原産地』という認識が先にきてしまいます。で、折口信夫の『死者の書』で有名(だと思うのは私だけ?)な当麻寺はこの二上山の麓にあります。こんな見晴らし最高な甘樫丘の麓に蘇我馬子の屋敷があった訳です。…一等地ですよ。この丘の上からなら、どこから誰が来ても一目で解る、軍事的にもいい位置。…迎え撃つ準備が出来るという意味で。守りやすいかどうかは別問題。
 甘樫丘を降りてからはさっきの石神遺跡の傍を通って飛鳥寺跡へ。この庭で中大兄皇子と中臣鎌足が出会い、後の大化の改新へと繋がっていく…という場所です。あ、お寺は今もありますよ念のため。地中には当時の塔の礎石が残っている、という意味での『飛鳥寺跡』です。
 写真はその飛鳥寺跡の傍にある蘇我入鹿の首塚です。
 まだまだどんどこ歩きます。次の目的地まで1キロ程度だとバスを待つより歩いた方が早いので…足し算はしない方向で。

飛鳥~その2~

 で、まず向かった先は水落遺跡です。とても綺麗に整備されています。え、雑草? 雑草は後からどうにでもなる物で、それ以外の部分、礎石の上には柱があったことを示す円柱が置かれ、建物跡も足下に埋め込みで示されてる。さりげなく、かつ的確な整備だ…!
 この遺跡は中大兄皇子(後の天智天皇)によって作られた日本最古の漏刻による時報施設の跡…とされています。どうしても近江大津宮での漏刻が有名(だから天智天皇を祀った近江神宮には時計博物館がある)ですが、先立つのはここ、ということで。
 バス停からは明日香村教育委員会の埋蔵文化財展示室の建物の裏側にあるので…ぶっちゃけとっても解りにくい所にあります。…で、一見して何も無い…という…でも大津宮の漏刻が念頭にあると「コレが本家か…」と思うのでちゃんと得るものはある…筈。この漏刻の模型というか再現は飛鳥資料館にあります。
 埋蔵文化財展示室にも入ったのですが(無料)、うーん…ざーっとしたもの? という印象。もちろんこういう展示環境だから、気温や湿度に左右されない物(土器や石製品)がメインになるのは仕方のない事なんだけども。
 近くには石神遺跡もあります(これもまた解りにくい所に)。…こっちの方が何も無い…井戸跡があるのですが、何せ時期が時期、生命力に溢れた雑草に覆われて底を見る所か縁も曖昧で、下手に近づいたら落ちそうでした(マジで)。

飛鳥~その1~

 副題:体力の無さには定評があります。
 さて、昨日書いた通り、朝っぱらから飛鳥へ行ってきました。京都から橿原神宮前行きの急行に乗る…って事は単純に始発から終点まで乗るって事ですよ。当然のように爆睡。頚が痛い。飛鳥資料館に着いたのは開館15分前だったのですが、既に100人を越える列が。まぁたった100人の列なんですけどね。駐車場にはここぞとばかりに休日1000円の恩恵にあずかったんだろう香川とか静岡とかいうナンバーの車が。
 展示そのものはですね…こんなもんか、位のかる~いノリですね。フロアの案内の人、バイトだから多くを望んだって仕方ないんだけど、注意点ばかりを繰り返して説明は一切無いというか。「青龍は舌の部分以外は泥に覆われています、ご了承下さい」と繰り返し言われてもねぇ…それって了承を得るような事かなぁ、とさえ思ってしまう訳ですよ。図録は青龍については詳しく書かれてたけど、白虎についてはスルー。…まぁ2回目? だから仕方ないのかも知れないけれど、過去の図録の該当部分再録とかでもいいから、何かしら触れておいて欲しかったです。だって表紙は『白虎・青龍』なのに中身ほぼ青龍オンリー。
 実物の青龍はそんな感じで舌の赤い部分が若干見えるかなー程度です。よーっく見れば前足の爪も薄ぼんやりと見えるけどもそれ以外の部分は無理。…や、時間かけてしっかり見れば見えるのかも知れないけどあの短時間とあの光量(光量は少なくて当たり前なんだけどさ。遺物保護の観点から)ではこの程度が限度。一方の白虎は一転してとても綺麗に残っている様子が見えます。中央に泥が流れた跡があるけれど、全然気に成らない。白虎と青龍は同じ原図で描かれてるそうなので、足の部分とかはきっと青龍もこんな形をしているのでしょう。
 どうでもいいけど(や、よくないか?)取材に来てた新聞社(多分後援してる朝日だと思う)が特別展示室での様子を写真に撮ってました。ずらっと並んで展示ケースにへばりつく私らのような人種をね。…けど、けどさ。フラッシュ焚きまくりだったんですよ! ちょ、いくら取材で撮影許可得てるからってそんな無遠慮にフラッシュ焚きまくる訳!? そりゃ炊かなきゃ写らないから仕方ないんだろうけど…何のために光量落として展示してるんだか。ちょっと内心もやもや…とした光景でした。
 見終わって出てきたらまだ9時半。混み具合もほぼゼロという状況。なんだ、最初の休日なのに結構出足鈍いんじゃないの? と思いつつ、一番混み合って時間が読めない飛鳥資料館をクリアしたので後は気が済むまで飛鳥を彷徨くだけです。

2009年5月9日土曜日

休みがないよ…?

 明日は仕事行くよりも早起きして仕事行くよりも早い時間の電車に乗りますよ…。奈良まで気合い入れて行こうとするといつもそんなんです。奈良で開催される展覧会って毎回もの凄い人やからなぁ…。
 ホントに5月は毎週末予定が目白押しです。出歩くのをやめて家にいればいいだけなのですが。いい加減部屋がとても汚いので掃除をしなければと思ってはいるのですが。
 飛鳥資料館でキトラ古墳壁画の特別公開やってる他、神戸市立博物館では薩摩切子の特別展が6月から開催…どこもかしこも春~夏の特別展が真っ盛りですよ。大阪だと大阪府立弥生文化博物館大阪府立近つ飛鳥博物館がまた面白そうなのやってるし。近つ飛鳥の方は毎回面白そうなんだけれども如何せんあそこは場所が遠い。…かなり遠い。安土城考古博物館の展示もまだ見に行ってないけどこれは来週…来週にしたい…! とりあえず期間の短い物から…という訳で明日は奈良です。キトラです。ホントに人が多いから半ば始発で朝イチを狙っていきます。…それでも1時間くらい待つんだけどさ。開館時間には着くくらいに行って、ようやく昼過ぎには見終わる位…かなぁ…前回の特別公開はそんなんでした。
 飛鳥資料館といえば、山田寺の回廊が展示されて…るのかな? 今も。あれは特展だったのかな? どちらにせよ、デジタルトレースした図面が壁紙にあしらわれていたのですが…超細かい。あれ何日作業だよホント、ってな位に細かい。あれだけ細かい礎石の書き込みがあるってことは原図は1/20か…1/50か。割付図とかどんな設計図だよ、みたいな状況になってそう…恐怖!(仕事量という意味で)

2009年5月7日木曜日

これ、なんていう?

 ものさし
 サシ
 スケール
 定規
 ルーラー

 …全部似たような物を指す言葉ですよね。受けるイメージとか、ニュアンスの差はあれど、全部『直線』『薄型』『目盛』『長さを測る』とかいうキーワードが付いてくるアレですよね。
 前の会社でこの呼び方一つで相手からからかわれたりするという…嫌な思い出のあるブツです。
 私は通常『定規』というのですが、前の会社では人によって『サシ』『スケール』とか呼び方が違った訳ですよ。それで『定規』というと「定規て(笑)」みたいな反応をされ、かといって『スケール』と言えば今度は『サシ』と言う人に「スケールて(笑)」みたいな反応をされ…人によって『スケールください』『サシありますか』とか言い方を変えなければならないこの…無駄な気遣い。別の名前で呼ぶと回して貰えないどころかからかわれてイラつきどどんと二倍、みたいな。意味通じたらええやんけ、と何度思った事か。
 あ、今はもうフツーに『定規』で押し通してます。誰が何と言おうと『定規』。『押しピン』と『画鋲』は使い分けます(頭が平べったいのが画鋲、頭がつまめる形状のが押しピン)が『定規』は全部『定規』です。…例外的に裁縫箱にある竹で出来たアレだけは『物差し』だと思ってますが。あの目盛だけあって数字書いてないヤツね。
 あと、ホワイトボード用の黒板消しですが、そもそもホワイトボードであって黒板ではないのに『黒板消し』というのに抵抗があるのでウチの職場では大多数が単純に『ケシ』と呼んでいます。『ラーフル』とは呼んでませんよ念のため。

2009年5月5日火曜日

鴎戦回顧

 【かいこ】と打ったら【解雇】の次に【KAIKO】と出てきた私の変換履歴(byATOK)。…ああそういえば一時期ニコ中だったねそういえば。
 それはさておき。
 こどもの日ということで…ぶっちゃけもっと人入ると思ってました。11,000ちょい…か…。いや、逆に今年みたいな超大型連休だとみんな遠出してしまうのか…? そんな私はこの日、サッカー自体生観戦初めてという妹を連れて行きました。初観戦がゴール裏でユニ着てタオマフ回して声を出せ、という無茶ぶり。それでも(兎にも角にも勝ったし)楽しかったようです。毎試合・声出しは微妙そうな顔してましたがまた見に来たい、とは言っていました。…え、マジで? 妹は本当に…こんな姉を冷めた目で見ている事が多かった…というかそればっかだったので。まさかまた来たいとまで言うとは…意外。あと、私と妹は女性が見ると『全然似てない』そうなのですが、男性の目からすると『そっくり』なんだそうで。…所詮異性の目なんてそんなもんなんでしょうかね。似てるのは肌の白さだけ、とも言われましたが…妹は元々部活人間だったので昔は日焼けしていたのですが…気がつけば私と変わらないようなインドアになっていたようです。
 で、試合内容ですが。危ないところは多々ありつつ、それでも久方ぶりの平井イェーDAYということで全ては平井イェーでした。一番悔しかったのは後半の李正秀のヘディングでしょうかね…ホント綺麗に決まると思ったのにあれは…! 初ゴールはお預けです。
 そういえばパウの得点が黒部を抜いてサンガ歴代トップになったそうで。名実ともにサンガのエースですねパウ。怪我から戻って来てくれたのにパウが転んで担架呼ばれるとドキッとします。…ホント怪我無くシーズン通してゴールゴールでお願いします。…ええ、ホントに。

2009年5月4日月曜日

ちぇいさー

 買うか買わないか迷った時は『買う』を選ぶ事が多い私ですが(やらないで後悔するよりやってから後悔した方がマシ)、時には『買わない』選択をすることもあります。というか、一旦売り場を離れてみて、『やっぱり…』と思ったら買いに戻る、みたいな。で、先月ヨドバシで買うか買わないか迷ったPC鞄をやっぱり買おう、と。阪神に用があったオカンと一緒に出かけて来ました。
 で、帰りに新京極のシネラリーベで映画を見てきました。…コナン。や、以外と大人(だけ)のお客さん多かったですよ。というかシネラリーベがあんな人多い状況は初めてでした。学生時代にはどうしても平日に行くからガラガラだったイメージが(そういう映画ばっか見てるからという話も)。
 内容はまだ見てない人も多いだろうから触れないのですが敢えて…敢えて言うなら…!  DAIGOが声あててたキャラ、何だろう…勝手な思い込みなのですがあの顔を見た途端、保志声が似合いそうだと思ったのは私だけ…ですかねぇ…なんかそう思ってしまったんですよ。何故か。誰かに似てたとかは言いっこナシで。あと一瞬だけだったおじゃる警部…あんな短時間じゃリスしか印象に残らないよねあの人…! 声優さんは豪華でしたよかなり。でも公式でもDAIGOが初アフレコとなっていて…あ、でもアフレコは初なのか、あれはドラマCDだから…。

2009年5月3日日曜日

2日で300枚↑

 昨日今日と父親の一眼レフを借りて写真を撮りまくっていたら、快適さも相まって2日で300枚を越えていました。1.2ギガ。…まぁそんなもんでしょう、と思ってしまう位には私の周りにいる友人達の撮影枚数は異常。
 それはさておき、今日が本宮、要するに祭の本番です。各地区ごとに集まって集来の儀式を行った後、神社に向かいます。田植え前で水がはられた水田に行列が移る様は田舎情緒というか…なんというか。
 もの凄く迂闊な事に、この行列を撮っていたが為に別処で行われていた行事を1つスルーしてしまうというこの失態。二兎を追えないこのタイムスケジュール…! 来年はこの行列に張り付く必要はないので、もう一カ所の方に張り付こうと思います。
 御輿は全部で5基あります。旧来のウチの村は5部落に別れているのですが、それぞれの部落に1つの御輿…というわけでもありません。この5基の御輿は同じ神社に合祀されている5つの神社それぞれの御輿…というかそんな感じで、家ごとに『ウチはどこの神社の氏子』というのがありまして、ウチはAだけど隣の家はB、とかそういう事もままある訳です。例外的にここの部落はほぼ全員がC、とかそういうこともありますが。
 写真で右端(実際はこれが中央です)の御輿のてっぺんに飾りがないのは今この時点では付いていないだけで、宮立ちの直前に載せられるんです、念のため。この神社、名前として有名なのは『田所』なのですが、私は昔から『大宮』さん、と呼んでまして…というか地元の人はマズ持って『田所』とは呼ばないよーな…。確かに『田所』もあるのですが、一番メイン(中央におかれて常に先頭)の御輿が『大宮』なのだから、やっぱ筆頭は『大宮』、と思って今まで過ごしてきたというか。他の『若宮』『今宮』『新宮』よりも『大宮』の方が上、というかセンター、というか。『大宮』の御輿の上に飾りを載せて初めて宮立ち、というのもメインは『大宮』というか…。まぁ『大宮』の方が神様のレベル的に上の神様(伊弉冉尊)というのが大きいのでしょうが。
 全ての儀式が終わった後、神社へ御輿が戻る時の様子です。松明や提灯が水田に映る様子はとても綺麗なのですが…如何せんフラッシュを炊くとこの光は映らず、かといって炊かねばシャッター速度が遅くなるからブレが…やっぱ生が一番ですよ、ということにしておきます。
 結局雨も降らず、かといって猛暑という程でもなく、過ごしやすい日でした。毎年この祭が終わると田植えのシーズンで、長袖から半袖に、足下もサンダルの出番…という認識なので、色んな意味で地元に『夏の始まり』を告げてくれる風物詩です。

2009年5月2日土曜日

1151年目

 今日明日は地元の祭があります。毎年この時期が祭なもので、GWに旅行に行った事がない…というのがある意味当たり前のような環境でした。とはいえ、一昨年は仙台に行ったし…と自分で動けるようになると別段、何の役も当たっていない(女なので当たる訳もない)私はどこへなりとも行ってしまえるのですが。
 去年、鎮座1150年祭を行ったこの神社、一応歴とした(日本語の矛盾)式内社(日本初の神社リストである延喜式に掲載されている神社で載っていると当時から朝廷に認められていた証になる)です。つまり明治以後になってから出来た橿原神宮とか、平安神宮、近江神宮、明治神宮などは必然的にそうじゃない神社ということになります。なので、近代になってから新たに社格を設け(というか設定しなおし)ていたのですが、戦後は表向き、そういう社格は廃止された事になっています。…表向き、というのは実際の所、元々『官弊大社』であった所は今もそういう社格を保っていて、そうでない神社が『ウチの方が人気』とか上に出るような事は実際問題不可能なので、結局のところ序列は残ってる訳ですよ。で、延喜式<近代社格です。だから延喜式の時代には当然無かった明治神宮の方が他の式内社よりも上の『官弊大社』な訳です。
 それはさておき、今日は宵宮で、明日が本宮なので、今日の所はまだ御輿も出ず…というか舞殿におかれてはいるけれども。今日は子供御輿が出る日で(これは女の子も担げるので私も10数年前に担ぎに行きました)、大の大人なら4人で担げるような軽さの御輿なのですが、それでも子供心に重かったのを覚えています。他のお稚児さんとか警護(という若い…といっても中高生~未成年くらいの男の子がやる役目)は今日も明日より短時間とは言え、お仕事です。
 田舎さ加減が見て取れるウチの地元ですが、この年になって私、この地元が大好きです。ホントに精神風土が中世で止まってるというか(良くも悪くも)。これは京都の人の感覚に似ているのかも知れませんが、近世以後に人が移り住むようになった場所には無い、1000年前の生活の痕跡(神社もそうだし、伝承であったり遺跡であったり)が残ってる場所で生活してるというのは歴史好きとしてはそりゃもう…良い場所です。まぁ長短あるのですがそれはさておき。
 この祭も田植え前の雨乞いの祭と、平安時代が起源の部分もあって…ええ、とっても中世的な祭です。大津祭や長浜の曳山祭なんぞはどっちかっつーと近世的なものですが、そういう意味でも精神風土としての時間は1000年前で止まってるって事ですねウチの地元。