2010年10月3日日曜日

まるごと佐和山城

 鳥居本で開催されたまるごと佐和山城に滋賀県の歴女ボランティア(もはや正式名称が思い出せない位)としてお手伝い参加してきました。集合場所の龍潭寺前に集合時間の50分前に着くとか計算違いも甚だしいし。しかし既に到着していた歴女メンバー…ちょ、早すぎ。
佐和山城遺跡出土品(1)
 私のお手伝い位置は発掘調査現場…跡地。そう、跡地。去年の7月に現地説明会をした奥の谷は既にほ場整備も終わって今年の実りも刈り取られ…っていう状況。今年の3月に現地説明会をした百々町筋~本町筋部分は現在ほ場整備の真っ最中。…そう、遺構面なんて見えないんだ。そこであそこから道の跡が見つかって、本町筋沿いに建物が並んでいて、鞴の羽口が出た所は字名が「火箱」と言ってそういう鍛冶系の施設があったんじゃないかとかそういう話を午前1回午後3回。
 その前に四ツ目屋敷で出土品の展示もしてきました。背の高い人がパネルを貼っている所で私は遺物を並べてみたりキャプションぽいぽいしてみたり。
佐和山城遺跡出土品(2)
 (1)の写真は金属製品。鉄砲玉、小柄、明銭、紐金具。(2)は国産の土師器とか擂り鉢とか甕とか。他にも青磁やら白磁やらの輸入物とかあのお犬様も展示されてました。木器も来てて、下駄と箸と漆器。跡は石製品で砥石の他に五輪等の風輪(一番上の部分)と石仏がそれぞれ1つ。
 展示が終わった段階で説明を受けて、私ともう一人は発掘調査現場跡地へ。…とはいえ、午前中は佐和山山頂で講座があるのでまぁ人は来ないだろうなーと思っていたら、4人だけいらっしゃったので一応開催。マイク不要。大丈夫かいな人来るんかいな午後からは、と思いつつ午前は撤収。昼飯タイム。
昼飯。
 至急された昼食はコレ! とりあえず写メっとかねば。中身は普通のおにぎり2個でした。片方が…黒米を使ってたのかなあれは。た、足りなさげなフラグ…いや、私らは足りるけど男性陣はきっと足りないんじゃないかな…と思ってたら私らも夕方にははらへー(ヽ´ω`) 状態。結局終了後の解散前に余ったおにぎりを(大体)みんな1包みずつ貰って私は帰りの車中でmgmg。人によってはその場でmgmg。
 それはさておき、昼過ぎくらいから懸念されてた雨がぽつぽつ。けども本降りにはならないまま、現地説明会は終了。持って来た資料も全部捌けたから…150人以上は来た事になるのかな…。
 その後で我々は鳥居本公民館に移動して長浜城歴史博物館の中井均さんの講座を拝聴。私の悪い癖なんだけどもメモを取り始めると際限がない。一切メモ取らないか、米粒に書く気か! みたいな字でびっしり書くか。…寝そうな時は大体後者。書いてりゃ寝ないわ、くらいの勢いで書きまくる。後から読めないとか、違う漢字でもとりあえず書いてるとかよくある。後者とか私、万葉時代の人と話が合うと思うの、表音重視って意味で。…冗談はさておき。やっぱ話慣れて居られる方は上手いなーと思いつつ、一点だけ。一点だけ。
 城好きの歴女はいない、発言だけはもやっとだわ。
 確かに多くはないかもしれない(人物好きに比べればね)でも少なくない数はいる筈なんだ。だから歴女っていやー人物好きなんだろ? そればっかなんだろ? っていう固定観念からはそろそろ離れて欲しいなーと。歴女(というか歴史好きな女性)が根付いた(以前からいたけれどもより市民権を得た)というなら、根付き方が一種類な訳ないよ。文化が定着するならそれは色んな形態を取っている筈で、一種類のままじゃ定着なんてしないと思うんだ。

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