2009年5月16日土曜日

前田慶次道中日記

 米沢市の図書館が刊行してるヤツをたまたま彦根で見せて貰いました。伏見から米沢に至るまでの道中記なのですが、滋賀県大津市堅田での滞在が実に20日以上…というのはさておき、その部分が具体的かと言えばそうでもないのですが。それでも行間を読む…ではないのですが、注目するポイントはある訳で、『堅田から竹生の横を通って薩摩経由で米原へ』という記述。
 つまり堅田から船で竹生島の近くを通って彦根市薩摩に寄港、そこから米原へ移動したということで、堅田は中世~近世に至るまで、漁村(御厨)から湖上交通の要衝を締めて『湖賊』として湖上交通の実験を握っていた場所です。実際、堅田から現在の米原市・彦根市などへの行き来があったことが堅田から出土した墨書土器に書かれた地名からも解っています。そこから船に乗るというのはとても理にかなっているのでそのルートを使ったのでしょうが、前田慶次みたいな言い方は悪いけれど『超有名人』もそのルートを通ったというのが…感慨というかなんというか。単独でも意味がある事(物)だけれど有名な仲間がいるとちょっと嬉しくなる心理というか。
 たとえば最近…でもないか…4月25日に新聞に載った守山市下之郷遺跡の人面ココヤシな。単独でも意味があるもの(少なくとも滋賀県は内陸なのでココヤシが勝手に漂着する訳がないから誰かが持って来た)だけども、正倉院にも同類の物があるってだけで何かスゴい物に思えてくるというか。このココヤシ、安土城考古博物館の今の特展で特別出品されてました。下之郷遺跡も取り上げてるからそのお仲間ということで呼んで貰えてる模様。思ったよりも小さかった…正倉院のはもっと大きかったから…新聞の写真とかで並べられてると縮尺解らんよな…と。

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